「みんなのお金」がもたらすコミュニティ活動~レオナルド・ドゥラン(メキシコ)

2017年11月11日 しあわせの経済世界フォーラム1日目
レオナルド・ドゥラン・オルギン氏 講演

メキシコの先住民族の組合トセパン・ティタタニスケを代表してお話します。トセパン・ティタタニスケは、ナワット語で
「団結して勝ち取ろう」という意味です。組合は今年で40周年を迎えました。短い時間ですが、その取組みを紹介したいと思います。

今日、ここにいるみなさんと同じく、私たちは破壊的な経済へのオルタナティブに取り組んでいます。破壊的な経済によって貧困など大きな社会問題が生まれています。私たち先住民は、それとは異なる生活環境を目指し団結して組合を立ち上げました。40年目を迎える2017年現在、35,000世帯が組合員として活動しています。

私たちの活動拠点は、メキシコ中央部に位置するプエブラ州北東部の山岳地域です。地理的にも生物学的にも非常に多様性のある地域です。この多様性によって、私たちはさまざまな活動を続けることができ、今日に至っています。(活動の詳細を紹介していきたいと思います。)
祖父母の代からの地道な活動が実を結び現在の尊厳を取り戻した暮らしがあります。私たちの組合では、農業生産だけでなく加工販売など、さまざまな分野で活動しています。

具体的な活動について紹介していきます。

私たちは独自の金融機関、マイクロクレジットを設立しています。名前はトセパン・トミンです。トセパン・トミンは「みんなのお金」という意味です。トセパン・トミンは、「お金が最も重要なものではない」というメッセージを組合員に伝える意味もあります。お金だけに依存する経済ではなく、お金の交換価値を見出す機会になっています。

トセパン・トミンに口座を作るとこのお金が組合員の間で回っていきます。つまり、組合員のために使われるお金になります。お金は負債を負うためのものではないこと、お金を有効に使うことの大切さを、子どもの頃から学びます。

また、私たちは女性の社会進出もサポートしています。私たちの地域は、伝統的には男性優位の土地柄でした。20年前から女性の社会的地位向上に取り組みはじめ、組合40年を迎えた今年、初の女性代表が誕生しました。

また、エコツアーを推進するため宿泊施設トセパン・カリも建てました。トセパン・カリは「私たちの家」という意味です。私たちの地域を訪問した方なら、誰でも宿泊できます。観光業を発展させることは、外部から人を呼ぶだけでなく地域の若者の雇用を生むことにも貢献しています。

7年前からは、保健衛生分野の活動も始めています。「トセパン・パッティ」という組合を作りました。病気になってから健康を取り戻すのではなく、病気にならない身体を作り、健康を保つよう活動をしています。

さらに、私たちは子どもたちの教育にも力を入れています。10年前に組合で幼稚園、小学校、中学校を設立しました。「トセパン・カルネマチティロヤン」、「みんなの学校」という意味です。子どもたちは、手を使い、心で感じることの大切さを学校で学びます。子どもたちにも土を耕すことの大切さを学んでほしいという親の願いです。

私たちの活動の中でキーワードとなるのは「多様性」そして「団結」です。この「団結」という思いのもとに「団結して勝ち取る」を意味するトセパン・ティタタニスケという組合を設立したのです。

また、この「多様性」には、農業における多様性も含まれます。私たちの命をつないでくれる作物ですが、その畑や農園を見回すといろいろな作物があるのがお分かり頂けるかと思います。

例えばコーヒー栽培を例に挙げますと、コーヒー農園はコーヒーだけを栽培するのではありません。コーヒーだけではなく、他の作物も取れる非常に生産性の高い森になっています。このコーヒーの森には、コーヒーに日陰をもらたしてくれる樹木や果樹などさまざまな作物が一緒に育っています。

このコーヒーの森から採れる産物を見て頂くと、コーヒーだけでなく、果樹、シナモンやハチミツなど多様な生産物をもたらしてくれる森であることがおわかりいただけると思います。そこでは、動植物、昆虫類、鳥類など、そうした多様性もみることができます。私たちの森は、スローフードという世界的な運動の中でも非常に注目されています。

次に、この人間開発指標のグラフから、組合員の中でどのように私たちの活動の結果が出たかがお伝えできるかと思います。白い線が組合員 ピンクの線が組合員以外の指標なんですが、それを見て頂くと収入という点では大きな差は見られません。しかし、精神的な面からは組合員に非常に高い満足度を見ることができます。これは、5年前に外部の団体の調査に基づいて作られた指標です。

これまで40年間活動を続けてきたこの組合、地域には残念ながら現在、脅威が迫ってきています。それは鉱山開発、それに伴う水力発電建設という脅威です。

こうした破壊的な経済活動、計画が持ち上がった中でも、私たち住民は平和的に、そして非暴力のかたちで反対運動を続けています。また、自分たちだけでなく、他地域の先住民が置かれている困難な状況に対しても、私たちは手を貸したいと思っています。

先日メキシコで大地震が起き、私たちとは別の地域ですが、先住民が暮らす多くの住宅が倒壊しました。そういった地域で私たちは仮設住宅をつくる活動を始めています。「団結」と「愛」というキーワードをもとに、明るい未来を次世代につないでいきたいと思っています。

ありがとうございました。

できることから自給する!~ローカルシフトのはじめ方 分科会C3レポート

登壇者:郭 洋春(立教大学経済学部教授)

白井和宏(市民セクター政策機構代表専務理事)

高坂勝(SOSAプロジェクト代表理事)

林 良樹(NPOうず)

企画:農力向上委員会、脱成長ミーティング

「まずは自分が食べる物の種を蒔き、自らが育てよ。」サティシュ・クマールさんが、「しあわせの経済」世界フォーラムの初日に諭したその教えを、どれだけの来場者が胸に刻んだのでしょうか。

明治学院大学で開かれた二日目の担当分科会、「できることから自給する!~ローカルシフトのはじめ方~」はまさに、そのアドバイスを実践する手ほどきの場となりました。当プログラムでは基調講演として、まず郭洋春立教大学教授が『限界に達した経済:さらなる成長は格差を広げるだけ』と説き、白井和宏市民セクター政策機構専務理事が『迫りくる食糧危機:世界的な食料争奪戦の時代』をレクチャー。続いて、千葉県鴨川市で自給を率先垂範する林良樹さん、匝瑳市に移住を決意した髙坂勝さんに実践報告をして頂きました。

なにより日本は今、まさに「成長の限界」に直面しているのでしょう。サティシュさん初来日からの合言葉だった、「良い会でしたね!で終わらせず始めの一歩を踏み出すきっかけを演出する」。その想いがどこまで浸透したのか、いまだ経済成長に望みを託す世相に無力感を禁じ得ませんが、氏が最後に残した言葉に、唯一の救いを感じる毎日です。曰く、「それでもあなたを愛す」。

伝統文化に学ぶ「しあわせの経済」~分科会A-2レポート

11月12日、明治学院大学パレットゾーンの学食スペースにて、『伝統文化に学ぶ「しあわせの経済」』と題し、心の豊かさで知られるインド・ヒマラヤ山麓のラダック地方をテーマにしたトークショーを実施しました。ゲストとして、ラダックの現地仏教中央大学の学長であるゲシェ・コンチョック・ワンドゥ氏と、映画監督であり海外で数々の賞を受賞しているスタンジン・ドルジェ氏にご参加いただきました。当初ご参加予定だったヘレナ・ノーバーグ=ホッジ氏が体調不良により急遽ご欠席となるトラブルもありましたが、おかげさまで会場は多くの参加者でほぼ満席となりました。

ラダックからのゲストのお話は、現代の人々が見失ってしまった大切なものについて問う内容でした。「素晴らしい発展をとげた都市に暮らす、あなた方は幸せですか?」、「私たちは、他の人のために生きています。食事をするのも、生きてこの体を使って誰かのために役立たせたいからです。」、「私たちは朝起きて、地球の裏側にいる皆さんの幸せを祈ります。この中で地球の裏側のことに思いをはせる方はいますか?」。自らの外側に何かを求めるのではなく、内側を見つめ直すべきであり、心のあり方こそ重要であるというメッセージは、これからのしあわせを考える大きなヒントとなるのではないでしょうか。

実施:2017年11月12日(日)

会場:明治学院大学白金キャンパス・ダイニングホール1F

企画:NPO法人ジュレー・ラダック

スローライフ再論「グローバルからローカルへ」辻 信一

スローライフ再論:「グローバルからローカルへ」辻 信一

『よきことはカタツムリのように』(春秋社より)

 

集合的意識の胎動

長い間、環境運動家を名乗っているぼくだが、いまでも、不思議と言うしかない。地球上にかつて存在した生物の中で最高に知的な存在であるはずの人間が、自分の住処である地球とその自然のメカニズムを狂わせているのだから。自然生態系は人間の生存にとってなくてはならない最低限の条件。その破壊が止まらないとすれば、その先にあるのは、人類としての”死”に他ならない。

悪魔に魂を売ったのでなければ、一体、何と引き換えに、そんな自滅への道を選ぶのか。それが問題だ。

こんなことをぼくが言うと、必ず返ってくるのが、「そうは言っても現実は…」という話だ。そこでいう「現実」とは、景気とか、株価とか、選挙とか、のことであり、個人のレベルなら、雇用であり、給料であり、ローンだ。そしてそれらをまとめて一言で言えば「経済」、もっと平たく言えば、「お金」。それが「現実」という”物語”のテーマであり、主人公なのだ。そして両脇を固めて、主人公を支えるのが、科学技術。

その他のこと、人権、民主主義、平和、福祉、コミュニティ、愛、などというイシューは、どうなってしまったのか。もちろん、誰だって一定の価値をそれらに認めないわけではないが、結局のところ、「そうはいっても現実は…」とうところに落ち着いてしまう。

こうした”物語”を世界規模に広げたのが、グローバル化と呼ばれるものだ。本来、「グローバル」とは「世界的」や「地球的」という肯定的な意味をもつ大切な言葉だったはずだ。それが、多国籍、無国籍の大企業や大銀行による、障壁のない自由な通商を表現する言葉へとすり替えられてしまった。

一方の「ローカル」は、どうか。中心に対する周縁、都会に対する田舎、コスモポリタンな意識の広さやセンスのよさに対する、視野の狭さ、古臭さ、文化度や生活水準の低さ、など、「とるにたらないこと」の代名詞にまで貶められてきたのだ。

グローバル・システムの”不都合な真実”が明らかになりつつある今でも、メディアは、グローバル経済讃歌を歌ってやまない。確かに、一見、グローバル化は、そのための新自由主義経済政策は、そしてTPPに代表される規制緩和や貿易自由化の流れは、加速し続けているように見える。

しかし、だ。メディアにはなかなかとりあげられないが、今、世界中で、経済の再ローカル化の動きが広がっている。その軸となるのが、ローカルフードであり、地産地消型の地域に根差した農林水産業だ。日本もその例外ではない(異例のベストセラーとなった『里山資本主義』(2012年)以来、そうした草の根の動きが時折、主流社会の表面に現れ出るようになった)。

特に東日本大震災以降、被災地からの人口流出が急増する一方で、すでにそれ以前から始まっていた都会から地方へ、という流れもまた一層強まった。若い世代に農的営みや無農薬・無添加・オーガニックなど食の安全への関心が高まり、脱原発とともにエネルギーの地域自給への思いも強まった。半農半X、パーマカルチャー、シティ・ファーミング、移住、CSA(地域が支援する農業)、ファーマーズ・マーケットやマルシェ、エディブル・スクールヤード、有機農業・自然農法、「森のようちえん」、などに関与し、参加する人も増える一方だ。

世界中で進むこうした様々な動きは、今はまだバラバラで雑多なものにしか見えないかもしれない。しかし、ぼくには、それらを貫くようにして、その基底に、ある重要な集合的な意識が働いているように思えてならない。

 

「難民としての自分」からはじまる

世界のあちこちに、難民が溢れている(注参照)。そして、その難民が向かう先々に、難民排斥の動きがエスカレートしている。

ぼくは思うのだ。これまで幾多の戦争が難民を生み出しただけでなく、難民を生み出すような状況が戦争を引き起こしてきたこと。そしてもうひとつ、東日本大震災とそれに続く福島の原発災害が生み出した”難民”たちのことを。

今は亡き鶴見俊輔が、3・11後に発言を求められて、震災が大量の死者と被災民を生み出したことを念頭においてだろう、難民について語っている。難民出身の哲学者アイザイヤ・バーリンや画家ベン・シャーンなどの思想を手がかりにしながら、「文明の難民として、日本人がここにいることを自覚して、文明そのものに、一声かける方向に転じたい」と(『思想としての3.11』より、「日本人は何を学ぶべきか」)。

文明の進歩とか、開発とか、経済成長とかの裏側にはいつも大量の難民がいる。文明とは本質的に難民を生み出すシステムなのだ。難民とは戦争などの非日常的な事態が生む特殊な存在だと思われがちだが、実は、文明によって、刻々、つくり出されている。そして、今やグローバル化の進展とともに、文明と難民とが表裏一体の関係にあることが、いよいよ露になってきたのだと思う。逆に、これまでは、その難民化という文明の裏側を隠蔽することで、人々は文明の中へ易々と囲い込まれてきたのではないか。

鶴見の言葉を受けて、ぼくは「難民としての自分」ということを考えてみたいと思った。ある意味では、ぼくたちのほとんどがどこか別の場所から地域からやって来た難民であり、かつて自分の親や祖先を支えていた共同体から切り離され、自然生態系から疎外されて、大都会に暮らしている一種の難民。そういう難民としての自分が、これからどうやって生きていくのか。これがポスト3.11時代を生きる者が向き合うべき問いではないだろうか。

 

鶴見はまた同じ文章の中で、「近隣の助け合いと物々交換から再出発に向かいたい」と言っている。もちろん、それは単なるノスタルジアでも、過去への回帰でもない。

そもそもローカル化とは、円を描いて元に戻ることではない。そうではなく、螺旋を描くように、それなしにはもう人間が人間ではありえないという根本的なつながりへと、進化すること。過去を、伝統社会の智慧をヒントにしながら、来るべき新しい時代を生きる者として、大地に、共同体に根差すという根源的な人間のあり方を学びなおし、発明し直すこと。それがローカル化であり、リ・ローカリゼーションだ。

「グローバルからローカルへ」という流れは、単なる量的な変化ではなく、質的な転換を意味している。そもそも、ローカル化とは単なる小規模化を意味しない。グローバル経済をいくら小型にしてもローカル経済にはならないのだ。また新しい選択肢としての農的な営みとは、経済的収入のための代替案ではない。

グローバル化や環境破壊や原発事故などで人々が失ってきたのは、単に生存のための物理的条件だけではなかった。コミュニティや親族ネットワークや家族といった生存のために不可欠となる、自然との一体性や調和を失いつつあるのだ。

「グローバルからローカルへ」という流れは、これら、難民としての我々が失い、あるいは失いかけている人間存在の基盤を回復しようとする、意識的、無意識的な、人類史的な運動ではないだろうか。

 

注)国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、2015年末の時点で、難民・国内避難者・亡命申請者からなる「避難を余儀なくされた人々」の総計は6530万人。1996年には3730万人、2011年には4250万人だった。

日本が海外から受け入れた難民の数は、2015年の申請者7586人のうち27人。2016年1月から3月の申請者2356人のうち1人だった。

 

新刊『ローカル・フューチャー ”しあわせの経済”の時代が来た』

日本語版によせて

過去数十年、日本への幾度もの旅を通じて、私には、日本の国が今直面している数々の危機についての人々の深い悩みが、ますますはっきりと感じられるようになりました。気候変動、放射能汚染、経済的不安、民主主義への信頼の喪失、若い世代を襲う数々の心理的疾病・・・。数えればきりがありません。
だからこそ、日本をはじめとする世界中の仲間たちとともに、今こうして、従来のメディアや学界からの情報とは違った、より明るく希望に満ちた展望を、日本の皆さんにお伝えできることは、私にとっての幸せです。

本書『ローカル・フューチャー』で、私はローカリゼーションこそが未来への道であり、同時に現在の世界が抱える多くの問題を解決する鍵だと論じています。それは一見、ありえないことのようですが、実はこの道筋は、現在各国政府が人々を導こうとしている道筋に比べて、はるかに出費も、犠牲も少なくて済むのです。ローカリゼーションというのは、単なる理論ではありません。すでに世界中で、数えきれないほどのワクワクするような素晴らしいローカル化プロジェクトが進行中なのです。

ローカリゼーションがどれほど大きな可能性を秘めているかを理解するには、従来の情報源や主流メディアに頼っていてはいけません。世界の各地の“地面”で起こっている事実とつながるのです。するとだんだん、ある“形”が見えてくはずです。そして、やがて、私たちがこれまで当たりまえだと思わされていた、経済についての“常識”には、実は何の根拠もなかったのだということが明らかになります。つまり、“貿易は常によいことで、多ければ多いほどよい”、“成長は常によいことで、早ければ早いほどよい”などという思い込みです。

主流経済学のこうした考え方のせいで、各国政府は、右よりか左よりかに関係なく、グローバル市場の規制緩和を歓迎し、その結果、私たちにとって本当に大切だったはずのものが逆に圧迫されることになりました。グローバル金融機関は今も、大規模でエネルギー浪費型のテクノロジー開発のために何兆ドルという資金を創造する一方で、環境破壊と失業を生み出しているのです。

しかし同時に、世界中で、ますます多くの経済学者、環境派、社会活動家たちが“ニュー・エコノミー(新しい経済)”という運動の輪に結集しつつあります。彼らは一致して、現在の社会的危機と環境危機を乗り越えるためには、根本的な方向転換が必要だ、と考えています。
私は、伝統文化の中での暮らしを経験することで、世代間の、人間と動植物の間の、日常的な交流が生み出す歓びに、目を開かれました。人間という存在が、自然とつながり、他者とつながリ合うという深い精神的な欲求を抱えていることを、私は知りました。そして今、雨後の筍のように世界中に姿を現した新しいプロジェクトの数々は、どれも、その深い人間的ニーズに応えようとする試みに他なりません。何百万というローカル・フードのプロジェクトから、ローカル・ビジネス連合、ローカル金融、ローカル再生エネルギーのプロジェクトまで・・・。

こうした国際的なローカリゼーション運動を一層強化していくためには、政治活動とコミュニティ活動の両方が必要です。これまで大規模でグローバルなものばかりを助けて、小さくてローカルなものを犠牲にしてきた政策を転換しなければなりません。そして同時に、よりよい世界を地域コミュニティからつくっていこうという、草の根運動を支援するのです。

残念なことに、多くの人々は“グローバルか、ナショナルか”という不毛な議論に囚われています。グローバリズムもナショナリズムも中央集権的で産業主義的な社会のあり方こそが、進化論的な必然だと考える点では変わりません。しかし、このように“上から下へ”という構造は、何百年もの搾取と植民地主義の上に築かれたもので、もはや、世界中の人々や地球全体のニーズとは折り合いがつきません。

人間にとってのコミュニティというニーズ、そして自然界にとっての多様性というニーズ。この両方の根本的な必要性を認めるなら、ローカリゼーションこそが残された道筋だということは明らかでしょう。だからこそ、私はローカリゼーションこそが“しあわせの経済”だ、と言うのです。
これまで四十年近くにわたって、私と「ローカル・フューチャーズ」の仲間たちは“グローバルからローカルへ”というムーブメントの先頭に立ってきました。私たちは確信しています。生態系を、社会的な絆を、民主主義を、そして経済的正気を蘇らせるための、最も手っ取り早くて、効果的な方法は何か? それは、世界中でローカル経済を育て上げることです。

私は願っています。この本を手にしてくれたあなたもぜひ、“ビッグ・ピクチャー・アクティビズム”と私たちが呼ぶ、地球的な広い視野をもつ活動に参加してくださるように。そして一緒に“しあわせの経済”の輪を広げ、人間界にとっても自然界にとっても、より幸せな世界をつくっていこうではありませんか。

2017年夏、イギリスにて
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ

 

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ローカルの時代へ大きく踏み出そう

サティシュ・クマール

『リサージェンス&エコロジスト』2017年5~6月号より。訳:辻信一

 

危機は同時に好機でもあります。イギリスのブレグジット(EU離脱)やアメリカのトランプ政権誕生なども、見方によっては、ナショナリズムの意味を改めて考える絶好の機会なのです。

ブレグジット派は、「英国に力を取り戻せ」とか、「自治権を回復せよ」とかと主張します。同様にトランプ大統領も、「アメリカ・ファースト」、そして「再びアメリカを偉大に」と唱えます。これらはスローガンですが、人生とはスローガンで表現できるほど単純なものではありません。

その一方、ブレグジット派は、EU(欧州連合)から離れたいと考え、しかし同時に、グローバル化を推進したいと考える。そして、ニュージーランドやオーストラリア、そしてアジア、アフリカ、南北アメリカとの貿易を求めます。勿論、そのためには世界中をモノやサービスで運ぶのに必要な相当量の交通が必要です。その上、ビジネス界のリーダーたちを大陸から大陸へと移動させるのにも化石燃料が要る。こうした貿易に関わる一切が環境に与える影響の大きさは? そして気候変動への影響は・・・?

こう問う必要もあります。一体誰が、こうしたグローバル貿易で利益を得るのか? 答えは、そのグローバル貿易を進めるプレイヤーたち、すなわち、多国籍大企業です。富む者はますます富み、貧乏人は貧乏なまま。例えばブレグジット派はこれまでとは違う新しいグローバル化を唱えますが、他国の低賃金労働への依存、自国の失業の増大、環境汚染、資源の枯渇といった深刻な状況を、彼らに変えることができるかと言えば、答えは否です。

要するに、偏狭なナショナリズムと金儲けのためのグローバリズムの結婚から生まれるのは、不平等、不安定、そして不幸せでしかない、ということです。

今こそ、新しいブレグジット思想の出番です。それは、人々が自分たち自身の手で人生、経済、コミュニティ、文化、そして環境を守り、治める。これこそが真のブレグジットというものでしょう。それは偏狭なナショナリズムではなく、賢明なるローカリズムです。

EUから取り戻すはずの権力を、グローバル・ビジネスのリーダーたちに差し出すのは正解でしょうか。いや、それはブリュッセルから取り上げたものを、東京、ワシントン、デリー、シドニーに配ること―—フライパンの上が熱いからといって火の中に飛び込むようなものです。

自治の権利をブリュッルからロンドンに戻すだけでは不十分です。それはさらにリバプールへ、リーズへ、ランカスターへ、そしてすべての都市へ、町へ、郡へ、村へ、と移動させなければなりません。

ローカリズムとは地域の経済を力づけ、地域特有の文化や地域らしさを大切にし、応援することです。“ローカル”の旗印の下、芸術、工芸、一般市民の創造性を讃えるのです。経済や商業にも役割はありますが、分をわきまえてもらい、人々の暮らしを左右するようなことを許してはなりません。経済や商取引や消費がすべてだと思わされてはいけません。人生とは、それらをはるかに越える豊かなもの――コミュニティ、文化、美、持続性、ものを作る手、そして仕事などの総体です。私たちは単なる消費者などではなく、作る者であり、創造する者なのです。

EU離脱後の英国のあるべき姿を私なりに描いてみましょう。それは、自分たちが食べる安全で栄養のある食料を自給し、自分たちが住む美しい家を建て、日常生活に必要な物を製造し、芸術を、工芸を、そして市民の創造性を大切にし、科学と技術を賢く使う、そんな自立した国としての英国です。国のモノとサービスのうち、大体60%ほどがローカル、つまり地産地消であるべきでしょう。そして25%くらいが国産で、グローバルな外国算は15%で十分です。こうしたバランスのとり方ができた時にこそ、「自立」と言う言葉が使えるのです。

ローカリズム(地域主義)とインターナショナリズム(国際主義)は矛盾しないばかりか、相互に補完し合う関係です。これが、“Think globally, act locally”(グローバルに考え、ローカルに行動する)ということの本当の意味です。グローバルとローカルをくっつけて“グローカリズム”と呼ぶこともできるでしょう。でもそれは、排外主義とも、優越思想とも無縁です。偏狭なナショナリズムは「小さな心と大きなエゴ」の産物。一方、グローカリズムは「大きな心と小さなエゴ」の表現です。

我ら“グローカリスト”はすべての文化、すべての国、すべての人種、すべての信仰を尊敬し、尊重します。相互性と互酬性は我らのマントラ(聖句)。思想、アート、音楽、詩、踊り、演劇、科学、哲学などの国際的な交流は不可欠です。

インドの人々がクリケットに夢中なのも、逆に英国人がヨガにいそしむのもよいことです。ピーター・ブルックがインドの叙事詩マハバラータをプロデュースしてヨーロッパで上演するのも、インド人や日本人がシェークスピア劇を楽しむのも、素晴らしいことです。

マハトマ・ガンディーは経済と政治の地方分権を語りました。地方分権のためにはローカリズムが必要です。E. F. シューマッハーは経済を“人間らしいスケール”にとどめるべきだと説きました。これら先人の知恵をもう一度思い起こすのに、ブレグジットがよい機会を与えてくれた、と考えてはどうでしょう。そして、社会的に公正で、自然環境も持続可能で、精神的にも満足を与えてくれるような新しい経済を創るです。この経済とは、人間の想像力、創造性、自立性、霊性に根差すものとなるでしょう。

ローカル経済の目的はすべての個人にとっての、そして社会にとっての幸せ(ウェルビーイング)をもたらすこと。一方、グローバル経済の目的はと言えば、社会的結束、健全な自然環境、人間的な想像力を犠牲にしてまで、世界のたった1%の人たちに最大限の金銭的利益をもたらすことです。

さて、英国政府がEUとブレグジットの進め方について交渉するために与えられたこれからの二年間を、好機の“窓”としなければなりません。この機会をつかんで、私たちは草の根ムーブメントを育て、ポスト・ブレグジットの新しいイギリスをつくり出すのです。

失望している場合ではありません。悲観している時ではありません。悲観主義者は行動しません。楽観主義こそが運動の原動力です。自信と勇気をもつのです。希望をもって進むのです。ヴァーツラフ・ハヴェル(チェコスロヴァキア民主化運動のリーダー、元チェコ大統領)は言いました。

「希望とは・・・何かがうまくいくという確信ではなく、うまくいくかどうかに関わりなく、間違いなくこれが道理だと思えること」

ブレグジットは行動へのシグナルでもあります。アメリカの詩人クラリッサ・ピンコラ・エステスの言葉が私たちに大事なことを思い出させてくれます。

「港につながれている偉大な船。それが安全であることに疑いはない。でも、偉大な船はそのために建造されたわけじゃない」

偉大な船は大海へ出て、嵐をも乗り越えて航海を続けます。私たちもそう、ブレグジットやトランプといった嵐にも負けずに、航海を続けるでしょう。今この時こそ、我ら環境派、地方分権派、ローカリスト、アーティスト、企業家、運動家にとっての好機です。あとは、その好機を自分の手でつかむかどうか、だけです。

「ラヒール・ワタン~祖国、我を去りて~」イラク人画家が描く心の平和

みなさん、こんにちは!フォーラムの本チラシができあがりました。中央にある絵は、イラク人アーティスト、ハーニー・ダッラ・アリーさんの作品です。今回、ハーニーさんを実行委員会に紹介してくださったNPO PEACE ON の相沢恭行さんに、ハーニーさんの紹介と、本フォーラムに向けたメッセージを寄せていただきました。

1日目には、相沢さんがハーニーさんからのアート作品とコラボで出演くださいます。どうぞお楽しみに。
>>1日目のチケット予約はこちらから!


 

 

「ラヒール・ワタン~祖国、我を去りて~」イラク人画家が描く心の平和

 

「私がワタン(祖国、故郷)から去ったのではない。ワタンが私から去っていったのだ」

イラク戦争直後のバグダードで出会ってから13年来の友人となる画家ハーニー・ダッラ・アリーは、今春の来日個展ツアーのアラビア語タイトル「ラヒール・ワタン」について、このように話してくれました。

作品にはハーニーの心のワタン、原風景が詰まっています。まずはイラクの象徴で「生命の樹」とも呼ばれ古くから人々の命と大地を繋いできたナツメヤシの樹です。11年前京都で手すきの和紙に感銘を受けたハーニーは、やがてナツメヤシの手すき紙と出会い、その上に農婦たちの顔を描くようになりました。やがて彼は幼き日々に母親が毎朝窯で円いホブズ(パン)を焼いてくれた記憶に立ち返り、円い板を作品の土台にしました。

母の胎内から宇宙につながる大いなる円環に響きわたる息づかいを感じながら、今この地上で苦しむ全ての命の平和を祈る農婦の表情。個展会場では、「聖母マリアにも、菩薩や観音様にも見える」という感想を多くいただきました。ハーニーは答えました。

 

「私はムスリムだが、全ての宗教の源はひとつであり、日々を平和に生きていくためにある。どう解釈しても、平和な気持ちになったとしたらそれは私が心を開いて絵を描いたからであり、あなたも心を開いて絵を観てくれたということです。

 

私にとってアートは世界を変えるための武器です。芸術家はただ美しいものをつくるだけではだめで、人の心を動かすメッセージが要ります。私のメッセージはサラーム(平和)です。平和でなければ私たちはこの地上で共に生きていくことはできないからです。

 

今、人を殺してもいいという間違ったメッセージが世界に広がっています。私は、心のワタンに輝く女性たち、命を育み続けてきた働く農婦たち、戦争で苦しみ、子や夫を亡くした悲しみ深く、平和を求める気持ちがひときわ強い母親たちを描いています。彼女たちの内面の美しさを表現することで、観る人の心が平和になると信じています。心の平和が今の世界にはどうしても必要なのです。

 

死と破壊に疲れ果てた我が祖国は、争い続ける人々を残しどこかへ消え去ってしまいました。いまイラクに戻っても、あの美しいワタンはもうどこにもないのです。しかし、私が心のワタンを描き続け、あなたと心を開きあえるのならば、どこにいようとも、国境をはじめ争いの源である人々が拵えた全ての境界線を超えて、この地上が、いまここがたちまちに私たちのワタンになる。ワタンとは人なのです」

 

「ラヒール・ワタン~祖国、我を去りて~」。これは戦禍に苦しむイラクやシリアなど中東アラブ世界はもちろん、3.11原発事故以降はここ日本でもわかりやすくなりましたが、今や世界ぜんたいで共有しているグローバルなテーマではないでしょうか。

ハーニーはイラクでの戦争と長年の避難生活という自身の体験を嘆くのではなく、絵画表現によって「心の平和」という希望のメッセージに昇華させました。この壊れゆく世界を、僕たちが共にのり越え生き抜いていくための、大切な答えを届けてくれました。

 

この度、ハーニーの絵画作品をこの「しあわせの経済」世界フォーラムのメインビジュアルとして使っていただけること、心から感謝しております。それぞれのローカルから届けられた祈りが、絵の中のイラクの農婦の祈りを通して、グローバルに広がるこの地上に生きるすべての命に降り注ぎ、心に平和の音が響き渡りますように。

NPO PEACE ON代表
相沢恭行


■ハーニー・ダッラ・アリー(イラク/アーティスト)

1969年 イラク・アンバール県ヒートに生まれる
1990年 バグダード造形芸術院卒業
2004年 ポーランド文化省の招待によりワルシャワで美術品修復技術を学ぶ
2005年 イラク情勢悪化しヨルダン・アンマンに一家で避難
初来日し、東京と札幌で個展「混沌からの光」
2006年 2度目の来日。東京でイラク現代アート展、京都でイベント参加
2006年~2015年 ヨルダン、イラク、レバノンなどで個展多数
2016年 ナツメヤシの手すき紙を使用した新シリーズ「ナツメヤシと農婦」日本各地で展示
2017年 3度目の来日。京都、仙台、東京で個展「ラヒール・ワタン~祖国、我を去りて」

いよいよローカルの時代

 

 

11月のフォーラムのプログラムがほぼ固まり、1日目、一ツ橋ホールの前売り券も予約がのびてきています。

文化の秋、学びの秋。めぐる季節のいのちの恵みに感謝しつつ、ローカリゼーションを彩るキーワードについて、学びなおしてみませんか。今日はその教科書としておすすめの1冊を紹介します。

『いよいよローカルの時代~ヘレナさんの幸せの経済学』(大月書店)

この本が指し示す、世界的な潮流としてローカリゼーションへのうねりに足を踏み入れてみることをお勧めします!


『いよいよローカルの時代』「あとがき」辻 信一

ヘレナは、この危機の時代に、これまでのマインドセットからぬけ出す方法を示す世界的なリーダーのひとりだ。(略)

本書でヘレナが紹介してくれるような世界のあちこちでの農や食やコミュニティをめぐる動きに連動するかのように、この日本でも、地産地消、地域自給、地元学、半農半X、有機無農薬、自然農、産直、契約栽培、食育、スローフード、直売所、ファーマーズマーケット、地域通貨、市民バンク、エコビレッジ、グリーンツーリズムといったキーワードのまわりに大きなうねりが起こっている。

またそれらが相互につながり合うことによって、従来の経済学の常識をくつがえすような経済の新しい形(ビル・マッキベンの言う「ディープ・エコノミー」)を編み出しつつある。それらはもはや単なる一時的な流行でも、何かに反対する「運動」でもない。これまでとはちがう価値観や美意識や生き方からなる新しい文化の創造(カルチャー・クリエイティブ)なのだ。

日本のローカリゼーションの道筋を示す良書が近年、続々と現れている。世界的な文脈の中でローカリゼーションを論じる本書と、ぜひ併せ読んでいただきたい。

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自治体からGo Local!~英国・ブリストル市

みなさん、こんにちは!9月に入り、フォーラムまで2か月となりました。

プログラムもほぼ決まりつつあります。海外からのゲストとあわせて、このブログでも紹介していきますね。

今日は、ローカル・フューチャーズの招聘で参加が実現したイギリス、ブリストル市の元市長、ジョージ・ファーガソンさんについてご紹介します。

http://economics-of-happiness-japan.org/speakers/george-ferguson

ジョージさんは建築家です。環境活動家、社会実業家として都市再生について取り組んでこられたなかで、2011年の市長選に無所属で立候補、いわば市民代表として当選を得ました。

ロンドンから電車で1時間半、イギリスの南西部に位置し、人口42万人の港湾都市であるブリストル市は、イギリスでも8番目に大きい都市です。すでに自転車都市(2008年)やフェアトレード・シティとして、コミュニティづくりの基盤をもっていたブリストル市ですが、ジョージさんは地域通貨「ブリストル・ポンド」の導入や再生可能エネルギーの普及に取り組み、エネルギーおよびCO2削減に貢献したことで、2015年にヨーロッパの環境都市の代名詞「グリーン・キャピタル・シティ」も受賞する成果を収めています。

http://greenz.jp/2015/01/28/bristol_pound/

昨年富山で開催された「G7富山環境大臣会合」では、「都市の役割」についてブリストル市の取り組みを発表されたジョージさん。「ローカリゼーション」といいう言葉から、小さな共同体での取り組みというイメージを思い浮かべがちですが、その先入観を払しょくし、都市でローカリゼーションのキーワードをダイナミックい実践していく実例を直接学びに、ぜひフォーラムに足をお運びください。

▼「しあわせの経済」世界フォーラム1日目チケット、オンラインで販売中。

前売券がお得です! http://economics-of-happiness-japan.org/

▼運営費へのサポートとして、クラウドファンディングへのご支援をお願いします。
https://greenfunding.jp/sustena/projects/1963

ローカリゼーション:「しあわせの経済」への道<序>

2016年にローカル・フューチャーズから刊行された冊子『ローカリゼーション:「しあわせ経済」への道』。ヘレナさんの世界のありようを捉え、明快に問題点を指摘し、それに替わる道筋を提示する優れたテキストとして、広めようと、ナマケモノ倶楽部有志で翻訳しました。

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