ローカリゼーション:「しあわせの経済」への道<序>

2016年にローカル・フューチャーズから刊行された冊子『ローカリゼーション:「しあわせ経済」への道』。ヘレナさんの世界のありようを捉え、明快に問題点を指摘し、それに替わる道筋を提示する優れたテキストとして、広めようと、ナマケモノ倶楽部有志で翻訳しました。

ローカリゼーション:「しあわせの経済」への道

(原題:Localization: Essential Steps to an Economics of Happiness)

ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ

発行:Local Futures International Society for Ecology and Culture

 

序章

聞こえてくるのは悪いニュースばかり、と感じることがありませんか。気候変動、種の消滅、失業、貧困、暴力的衝突…。これでは、圧倒され、落ち込み、無力感に打ちひしがれても当然でしょう。

でも、物事をもっと深く掘り下げてみると、希望が見えてきます。というのも、私たちが直面している問題のほとんどは同じシステムに根をもっている。だからこそ、ひとつひとつの問題に個別に対処しようとするのではなく、すべての問題をまとめて同時に解決し始めることができる、ということなのです。

世界各地の途上国から最先進国まで、自ら観察し、調査してきた結果、私が確信したことがあります。それは、経済システムのしくみについての無意識こそが、現代世界の危機の根源だということです。経済を優先させて、他の大切なことすべてを片隅に追いやるような間違ったやり方を容認することで、私たちはそれと知らずに、グローバル経済に加担してきました。その結果、グローバル経済はますます強大化し、人間ばかりか地球上の全生命の生存を脅かすようになったのです。

 

グローバル経済とは“技術=経済システム”です。それは、生命を含むこの世のあらゆるものを商業化し、売り買いできるようにすること。それは、“分離(セパレーション)”によって繁栄します。人間同士の関係を分断し、地域や自然から私たちを切り離すことで成長する。つまり、経済のグローバル化は、私たちに不可欠な自然とのつながりや人間同士の絆とは、相容れないものなのです。

このままでなければならない理由など何もありません。変化はすでに始まっています。権力機構からは遠い場所で、草の根運動が芽吹き、育っている。

世界各地で、地域に根差したより“ローカル”な経済システムを構築することによって、生態系や地域社会を守ろうと、人々が立ち上がっています。そうした運動に共通するテーマは、“小さい規模”です。小規模だからこそ、文化や自然環境が経済の形を決めていくことができる。それは、経済が自然や社会を左右するという大規模経済の逆です。ここには、人間に本来備わっている強さ、忍耐力、そして善意が表現されている。だからこそ、急速に広がって、政治や経済の姿を大きく変えていく可能性を秘めているのです。

私と仲間たちは、もう40年近く、「グローバルからローカルへ」という方向転換を訴えてきました。私たちは、この“ローカル化(ローカリゼーション)”こそが、これまでのグローバル経済が引き起こしてきた危機から抜け出すための、最も分かりやすく、また効果的な方法だと考えているのです。

地域経済の健全化と活性化は、政治的で社会的な変化はもちろん、個々人の内なる変化をもたらすでしょう。

まず、ローカル化の政治的効果とは、社会に公正さと持続可能性をもたらすことです。富裕層と貧困層の格差を劇的に縮める一方で、エネルギー消費と環境汚染を減少させます。

また経済のローカル化は個々人から見れば、“幸せの経済”を意味するでしょう。人々が地域社会や自然とのつながりを取り戻すことになるからです。

こうしたことに私を気づかせてくれたのは、1975年、“リトルチベット”と呼ばれるインド北部ラダックとの出会い。それはラダックがグローバル経済の中に投げ込まれようとする直前のことでした。言語研究者として私は短期間でラダック語を習得することで、自然環境との調和の上に成り立ってきたこの伝統文化を、言わば“内側から”体験することになったのです。

その一方で私は、その後の10年間の急速な経済開発による地域への壊滅的な影響を目撃することにもなりました。

世界の経済システムが、いかに中央集権的な社会をつくり、限られた教育や仕事の機会をめぐって人々が激しい競争を繰り広げるように仕向けるか、を。同時に、若者たちの心を捕らえて、彼らの内なる愛や帰属への人間的な欲求を、消費の衝動へと変質させてしまうのを、私はこの目で見てきました。

その結果は悲惨なものでした。10年もたたないうちにラダックでは鬱病や自殺、暴力的抗争や自然破壊が急増したのです。なんとしてもこのことを多くの人に伝えなければならないと思った私は、身につけていた7か国語を駆使して、多くの国の政治家や草の根の運動家たちと話す機会を得ました。

驚くべきことに、多くの善意の人々が、それと意識せずに、経済システム自体を「よし」としていました。自然環境ばかりか、自分自身の健康や幸福をも脅かすことになる経済システムを、です。これを知って私はさらに強い使命感を覚えました。

 

以来私は、いかにして、進歩、教育、個人主義、民主主義などの思想が、経済成長や開発への盲目的崇拝へと変容していくかを見てきました。また、理想主義や善意が、心ない浪費、消費主義、失業、社会不安などを止めるどころか、助長さえしてしまうのを。

私の考えに力を与えてくれたのは、EUに加入することを拒んだスカンジナビアの国々の友人たちでした。

EUの統合は極めて経済的なものであることを、彼らは見抜いていました。それを強力に後押ししていた巨大企業からすれば、ヨーロッパ各国の通貨、文化、言語などの違い-言い替えれば、多様性-は、ビジネスの効率性と企業利益の障害物に他ならなかったのです。

友人たちが恐れていたのは、自由貿易のためにヨーロッパの国境を取り払うことが、文化、民主主義、そして環境に及ぼす悪影響です。それは、グローバル経済の中に投げ込まれようとしているラダックについての私の懸念と響き合うものでした。

 

さらに私の考えを確信へと高めてくれたのは、E. F. シューマッハーのあの画期的な著書「スモール・イズ・ビューティフル」でした。以後私は、大規模でファストで中央集権的な経済構造から離れて、地域分散型で人間らしい規模の経済へとシフトするという、この緊急の課題を訴えることになったのです。

最初のうちは、主流社会の主要な組織やメディアさえ興味をもってくれました。ハーバード大学やオックスフォード大学から招待され、大手メディアからインタビューを受け、テレビに出演し…。各国の国会議員や、何人かの首相にまで会って話しました。

しかし、1990年代初頭にNAFTA(北米自由貿易協定)やGATT(関税及び貿易に関する一般協定)などの自由貿易条約をテコとする経済のグローバル化が本格化すると、地域分散型の経済という考えは、ますます隅に追いやられる状況になりました。

グローバル化を推し進める巨大企業や複合メディアたちが富と権力を獲得するようになり、各国政府の政策だけでなく、一般世論、さらに論壇や学会での議論にさえ、大きな影響力をもつようになりました。

その影響は環境運動にも及びました。根本的な政治変革へと向かう代わりに、“グリーンな消費”、“エシカル(倫理的)な投資”、“CO2排出権取引”といった、市場メカニズムの枠の中での解決を求める傾向が強まったのです。

 

やっと最近になって、市場への信頼は衰えを見せ、グローバル経済のしくみそのものが社会や環境にもたらす悪影響に目が向くようになってきたようです。特に2008年の金融危機を通して、やみくもで無責任な投機的行動の危険性について、理解が進んだのも確かです。

一方、草の根の民衆は、ただ手をこまねいていたわけではありません。自分たちの手でコミュニティや地域経済を立て直す努力を続けてきたのです。

こうした運動は、大手メディアにとり上げられなくても、政府のサポートがなくても、世界中いたるところで起こっています。彼らが目指すのは、生産者と消費者との間の距離を短くし、地域、地方、国、それぞれのレベルで、経済をより自立したものに変えることです。ビジネスや市場の規模を縮小することで、責任と義務のありかが明確になり、全体の透明性が増すでしょう。また、暮らしや仕事が自然環境によって支えられていることを理解しやすくなります。人で混み合う地球ではあっても、人間が自然を壊さない範囲で十分やっていけることを、自分の生き方で示すことができるでしょう。

 

つまり、今世界中で起きているこうした動きは、コーポレート資本主義や消費一辺倒主義に対する強烈な批判であるばかりか、それに代わる真の代替案であり、現代世界の危機に対する答なのです。

ローカル化(ローカリゼーション)は、孤立主義を意味しません。実際、経済活動をグローバルからローカルへと移行していくための政治的なプロセスは、国際的な協力なしにはありえません。私たちに必要なのは、環境を守る条約によって国際的な連携を図ることであって、自由貿易協定によって多国籍の大銀行や大企業を守ることではないのです。

それぞれの地域における草の根の活動においても、他の地域や国、国際社会など、すべてのレベルでの情報共有と相互協力が緊急の課題となっています。

 

また、ローカル化は、答が一つしかない方程式のようなものでもありません。逆に、経済活動を場所によって、人によって、柔軟に形を変えていくプロセスです。それは言わば、「経済の里帰り」、つまり、経済本来の姿を取り戻すことなのです。

ローカリゼーションの価値は、一般に“経済的”と呼ばれるものをはるかに超えるものです。いわゆる北側諸国にとっても南側にとっても、経済のローカル化は雇用の安定、所得や貧富の格差の縮小に役立つだけではありません。より強くしなやかな地域社会を育む条件を整え、それがまた、住民個々人の体と心の健康を増進させるのに役立つでしょう。

要するに、ローカル化とは、人と人、人と地域社会、そして人とそれを取り巻く自然との、「つながり」を再生させること。だからそれは、私たちが見失ってきた「生きる目的」や「所属の意識」、そして自分たちとその子どもたちのための「安心な未来」を再発見することを意味するでしょう。

 

翻訳チーム:中久保慎一、和田彩子、黒住麻理、宇野真介、小形恵、馬場直子

監訳:辻信一

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です