インタビュー 限界を知るということ

インタビュー 限界を知るということ

農民・作家・思想家ウェンデル・ベリー

聞き手 ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ

2018年5月

(Dumbo Feather誌no. 58より抜粋、和訳:辻信一)


ヘレナ:人間は本質的に無知で愚かで貪欲で、だから、絶滅したって仕方ないんだといった議論がよく聞かれますが。

WB:それは安易な逃げですね。わたしたちの中にある徳というものを見出す努力が必要です。歴史の中にも、人間ならではの善さが見出される。歴史は確かに悪いことだらけ。それは間違いない。でも、問題から逃げるのではなく、問題を解決しようと努力することこそが面白いんだ。

ヘレナ:真の問題は、人間的(ヒューマン)本質にではなく、非人間的(インヒューマン)なシステムにあるんですね。

WB:まず最初に認めるべきは、我々人間とは、知的に限界を持つ存在だということ。予見するということについては、特にまったく頼りにならないということ。・・・自分たちの振る舞い、歴史、現状を評価するときに、効率性や利益など経済的な決定をするときに、私たちがいまだに使っている基準よりも、もっとましな基準に基づいてやれるようにならなくちゃいけない。わたし自身がいつもそこへ立ち戻ろうとしている基準は、世界の健康、そして、個々人の健康という基準です。

・・・自分の個人的な健康と、他のすべてのものの健康とは別のものじゃない。ここまでが私、ここから先が他者というように、区別できないものなんです。

・・・そして今では生態学のおかげで、健康というものがとても複雑で、人間の理解を超えた関係性のネットワークによって成り立っているということ、そしてそれが地球全体をも成り立たせているということが明らかになっています。

・・・限界(limits)を受け入れる能力にすべてはかかっている。私にはそう思えます。

 

ヘレナ:私たちに必要なのは、もっとヒューマンスケールのローカル化されたエコノミー(A more human-scale, localized economy)です。

WB:さらに一歩踏み込んで、私はコミュニティ経済という言い方をしたい。

・・・経済の原義は家政、つまり、家庭をやりくりすることだ。家の経済は、近所の経済。そしてコミュニティの経済へと広がっていく。それが基本だ。物事を共有し、そしてそれらを大切にするという義務を負うということ。それは、必然的にローカルであること、一定の制約(limits)の内にあることを意味する。その制約にはもちろん、私たち自身の知的な限界、行動能力の限界も含まれる。

(ヘレナ:経験知からの逸脱。そして経験知を軽視し、軽蔑する傾向。数量的、そして還元主義的な現代科学のあり方・・・に言及)

ヘレナ:(利益追求のために使われる科学。)新しい発見の数々が、世界の全生命に及ぼす影響は計り知れない。例えば遺伝子操作です。

WB:ここでも問題は、リミットを受け入れるかどうかですね。限界をわきまえる科学は、人間の体にもエコシステムにも害を与えない・・・。

 

WB:最近私には、グローバル経済というものが、コロンブスのときからもう五百年も続いていたんだと実感できるようになりました。

「生きていく為に必要なものがここになければ、よそから持ってくればいい。」これこそが、最も破壊的な考えなんです。私たちは未だにそれに囚われて、地域が荒廃したり、略奪されたり、奴隷化されたりすることをも、仕方がないと思わされている。

・・・ここになければよそで手に入れるという考えは、妄想です。「ここにあるものを使い果たしたらよそへ行けばいい。」これは幻想なんです。

 

ヘレナ:(上からのローカリゼーション、そして、グローバル経済の為のローカリゼーションに要注意。)グローバルからローカルへ、という言葉で、彼らは私たちと正反対のことを言っているんです。それは、巨大多国籍企業がロボットを駆使して、これまで中国で生産されていた洗濯機をこれからはアメリカで作ろう、という類なのです。

WB:・・・それぞれの地域で何を守るべきかをまず理解する。そして、それを守るすべを発見する。こう言ってもいいでしょう。ローカル経済を目指す運動にこそが頼みの綱なんだ、と。私たちのニーズを満たした上で、余剰を輸出する。私たちの生活の必需品を決して輸出してはならない。

 

ヘレナ:あなたは「運動」という言葉に抵抗があるのでは。

WB:(笑)確かに。私は「運動への不信(In Distrust of Movements)」というエッセイを書いたことがあります。・・・私が問題にしているのは、運動というものが専門化する傾向です。例えば、気候変動に特化した運動がある。そしてそれはとても専門化している。本当の解決策というものが、金儲けだけでなく、人間が生きていくことに関するすべてを含むような経済をつくることだというのに。だからいつでも運動に関してはちょっと懐疑的なんです。

ヘレナ:気候に関する運動があまりにも専門化して、今では破壊的な役割を果たすようになっているのは恐ろしいことです。特に、市場に基づく解決策という名の下に、炭素貿易やカーボンオフセットが公然と語られているほどです。

注: 【カーボンオフセット】人間の経済活動や生活などを通して「ある場所」で排出された二酸化炭素などの温室効果ガスを、植林・森林保護・クリーンエネルギー事業(排出権購入)による削減活動によって「他の場所」で直接的、間接的に吸収しようとする考え方や活動。

 

ヘレナ:・・・(「ビッグピクチャー・アクティビズム」によるグローバルからローカルへのシフト・・・ローカリゼーションのもたらす多様な利益。専門化から多様化へのシフト。)

私はよく、ローカリズムについて「すべてのイズム(主義)を終わりにするイズム」というんです。それは、ローカルが実は多様性とよく馴染むからなんです。それはひとつの基準をすべてに当てはめようとする従来の運動とは正反対。モノカルチャー(文化の均一性)とは死に至る病なんです。

(WB:ローカル農業の3つの特徴に言及。①規模縮小 ②多品目化 ③雇用増)

 

(ヘレナ: 通説に反して、多品目化した小型(small scale)では収穫が増し、収入も増していること、そして水とエネルギーの節約にも役立つことに言及)

WB:そう、小さな農業こそが経済的なんです。そしてそれは、幸福、美、そして健康といった計測不能な諸要素の増大させてくれる。

ヘレナ:そして、畑の生態系の健康もね。

ヘレナ:(トランプについてどう思う?)

WB:(民主党員やリベラルな連中さえ、田舎のアメリカは人種差別主義、性差別、遅れていて愚かな連中だと思っていたことに言及)でも、それは真実じゃありません。問題の本質は、アメリカの田舎は植民地だったということなんです。少なくとも私が生きてきた時代はずっとそうだった。1945年、あるいは50年以降、誰も田舎のアメリカに注意を払わなかった。52年にアイゼンハワー政権の農業大臣は農民たちにこう言い放った。”Get big or get out! (大規模化せよ、さもなければ出ていけ)”。そうして奴らは田舎のアメリカを企業や機械化やテクノロジーの下に置き去りにしたんです。

・・・あまりにも多くの農民が公の場で話すときには決まって「俺はただの百姓だから何も知らないんだが・・・」と話し出す。そう吹き込まれてきたわけだけど、それは本当のことじゃない。(この自己否定は)なんという悲劇でしょう。

(ヘレナ:地域のレベルからどんどん高いレベルへと上がっていくに従って、自分たちで作った統計という虚構のユートピア世界に迷い込んでしまうということに言及)

WB:(太陽光発電などの再生可能エネルギーについて)私はソーラー・エネルギーを駆使する農業の中に生まれてきたようなものです。私はそれを忘れていない。ロバや人間といったソーラー・コンバーターとともに私は仕事をやってきたんだからね(笑)。

 

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